〝描くのが好き、学んだことはない〟という
「独学アート」の作家さんで、
アートプロダクトの売上の一部を
障がい者アートの支援団体などに寄付される方のGallery
舟橋 清
Kiyoshi Funahashi
富山県立山町に生まれる。2023年現在、78歳。地元の建設会社で定年まで勤務。
幼少期から絵を描くことが好きで得意でもあったが、本格的に学んだことも、中学高校の時期に美術部に在籍したこともない。
とはいえ中学時代、夏休みの絵の宿題で立山を題材に選び、重ね塗りをほどこした水彩画を提出したところ、美術教師が褒めたたえ、他のクラスにまで持っていって、生徒たちに「すごい絵だ!」と見せて回ったことがあるという。当時すでにそれだけの技量を有していた。とにかく絵を描いているときが楽しかったとのこと。
20歳のころから油絵を始め、休みの日などに少しずつ描いていた。40歳のころに奥さんが、立山山麓スキー場にペンション「愛花夢(あいかむ)」を開業。以来、自然豊かなこの地が、暮らしと創作の場となる。
自然豊かな立山山麓スキー場
ペンション 愛花夢(あいかむ)
10年ほどペンションの手伝いが忙しく、なかなか創作に時間を割けずにいたが、それが一段落した50歳ごろから、多数の絵を描くようになる。
師に就くことも、教室に通うこともなく、独学で油絵を描きつづける。
創作中の舟橋氏
途中、「油絵のにおいが気になる」と家族から言われたため、しばらくアクリル画に取り組むも、「自分の絵の道とは違う」と思う。その後別棟のアトリエを構え、油絵を再開する。
アトリエにて
立山曼荼羅をはじめとする「立山信仰」を題材の一つにするようになったのは、イベントとして復元されたかつての伝統行事「布橋灌頂会」の、白装束の女性を描いたのがキッカケだそう。
復元イベント「布橋灌頂会」
平成17年
写真提供:布橋灌頂会実行委員会
東京での公募展などへ精力的に出品し、入賞も多く果たしている。
[1]
たてやまの詩(うた)
(立山曼荼羅)01
129 × 160cm
立山に伝わる信仰絵画「立山曼荼羅」をモチーフに、
舟橋氏独特の色づかいで立山の世界観を表現しています。
この作品は立山のふもと芦峅寺(あしくらじ)にある
立山芦峅ふるさと交流館に氏から寄贈され、
展示されています。
立山芦峅ふるさと交流館での展示
[2]
布橋灌頂会 01
37 × 45cm
「立山曼荼羅」のなかでも、
とくに「布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)」という
女人救済(にょにんきゅうさい)の儀式が
大きく取り上げられていますね。
この作品も立山芦峅ふるさと交流館に氏から寄贈され、
展示されています。
[3]
女とストロー 01
ストローでドリンクを飲む女性の姿が
大胆に描かれています。
ここでも舟橋氏独特の色づかいが目を引きます。
この作品は氏の活動拠点である
立山山麓スキー場のペンション「愛花夢(あいかむ)」に
展示されています。
[4]
おわら風の盆
これまで紹介してきた作品とは異なる筆致ですが、
これも舟橋氏の得意とするところです。
こちらも立山山麓スキー場のペンション「愛花夢」に
展示されています。
[5]
たてやまの詩(うた)
(立山曼荼羅)02
『たてやまの詩』の別バージョン。
縦長のこの作品も立山曼荼羅の要素が散りばめられていて
見ごたえがありますね。
立山山麓スキー場のペンション「愛花夢」に
展示されています。
[6]
おんばさま
41 × 32cm
宗教集落・芦峅寺で非常に古くから敬われてきた崇拝対象。
おんばさま(ウバ尊)にはいくつかの特徴的な姿勢がありますが、
この作品は片膝を立てたお姿で描かれています。
幕末まで、布橋を渡り終えたところにウバ堂が建っており、
そこに六十余体のおんばさまが祀られていたそうです。
明治初めの神仏分離・廃仏毀釈によって多くが散逸し、
現在は芦峅寺の閻魔堂や立山博物館に数体が
残されるのみとなっています。
ちょっと怖い雰囲気の中にも、
地母神(じぼしん)としての温かみがにじみ出ています。
こちらの作品も立山芦峅ふるさと交流館に氏から寄贈され、
展示されています。
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